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団地に住んでいることで馬鹿にされたあの時

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の幼少時代は、本当に良くいじめられたことしか記憶にないぐらいの思い出ばかりでした。 貧乏だから、自分はいじめられるんだと勝手に思い込んでいました。今思えば全然違うのに、本当に恥ずかしいですね。
自分が○○だからという理由で、何事もそのせいにして済ます。それじゃ何にも進歩はありませんよね。

私が幼少時代に住んでいた地域は、御殿場という田舎の町です。静岡県で一番富士山がきれいに見える町。
そこで20年間以上を過ごしてきました。勉強できない、運動できない、全くとりえのない幼少時代でした。
同級生や先輩からはいつもいじめの標的にされていて、思いっきり頭をけられて、目の横がものすごく腫れたときもありました。

自分はみんなとは違う、劣っていると認識していたのは、小学校3年生の時でした。
親友だった龍二君の親が新しい一戸建てを建てたのです。生まれて初めて新築の家に入りました。とても心地よい木の香りと畳の香りが充満していました。
私は龍二君が大好きでした。しかし、龍二君と自分の家庭環境は全然違うという事に気が付いたのです。私の住まいは、所得が低い人しか入れない、御殿場団地。
月5000円で借りることができるアパートでした。そういう噂は子供にも大人から聞かされてみんな分かっていました。
私がそのことを知ったのは、みんなが気が付いたずっと後になります。
高橋君の家は、貧乏人しか入れない御殿場団地なんだよね!この言葉を同級生から聞かされて、子供心にショックを覚えています。
その時から、自分の家は貧乏なのだと認識するようになりました。



団地のみんなはお金に困っている

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当時の団地に住んでいる友達は、みんな私たちと同じ環境の人ばかりでした。 類は友を呼ぶという言葉があるように、何かしら苦労をしている人の集まりだったのです。片親の家や身体障碍者を抱えている家、そして両親の所得が低い家など様々です。
ですが、その御殿場団地に入りたい人は順番待ちをしているというぐらい人気が高いのです。それもそうですよね。家賃5000円ですよ。はっきり言って安すぎます。
私がまだ小学生の時ですから、今から30年前ぐらいですが、所得は今とはそんなに大きくは変わりませんからどれぐらい家賃が安いのかはお分かりいただけるのではないのでしょうか?

自分の周りにいる人たちの平均年収が今の自分とほぼ同じという理由が今だからこそよくわかります。



貧乏といわれて開き直る癖を身に着ける

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父親は三菱金属、母親は矢崎工業という会社でパートの仕事をしていました。 お金の話はあまりしませんでしたが、貯金というか資産はなかったと思います。両親には親がいませんでしたので、引き継げるものは全くのゼロでした。
友達からいかに貧乏といわれようが、私は笑いながら受け流すことができるようになりました。
その時から、お金はすべてで、大事なものという認識を強く持ったのです。今の自分があるのは当時のいじめを受けた影響はとても強いのだろうと思います。
そうやっていじめる人は決まっている人だけですし、ほとんどの人はそのことに対して、スルーしていましたので、その点も助かりました。
今が貧乏でも将来お金持ちになれればいいと、強く心に願っていた幼少時代の話です。



子供は意外と親に気を遣う

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私は両親が大好きでした。特に母親にはたくさん怒られたが、なぜだか母親の笑顔を見ると、生きててよかったと思う事がある。 父親は今考えると、優しかったと思う。でも起こる時の怖さは半端なかった。まだ私が幼少期に、父親が母親の頭をビール瓶で殴って、ビンが割れた時期があった。
その時、もしビール瓶が割れなかったら、母は死んでいたのかもしれないと、そういう話をよく思い出す。私も姉も、当時まだ小さかったから、子供心にあの時の恐怖は忘れられません。私の両親は貧乏で育ったから、ろくに学校も行ってなかった。父親は中学すらろくに言っていない、全く集団生活が苦手な人だったから、自分の思い通りにならない時は、特にお酒飲んだりしたら、暴れたりする場面が多々あったようです。
教育を受けることは本当に大切なんだと思う。
幼少期、私も姉も私たちは貧乏だと思っていたから、親に無茶なことは言わなかったが、でもバブル期という事で普通に生活は出来ていましたが、貯金とか蓄えに関してはほとんどなかった状態でした。でも両親には本当に感謝しています。二人がいてくれたから、今の私たちが元気に生きていられるんだなと思います。
姉も私も自分たちの状況は冷静に理解できたし、賢い姉は子供のころから貯金をしていました。しっかりと貯めこんていました。
私はというと、親の悪いお金の習慣が身についてしまっていたことと、もちろん浪費癖が自分でも強くあったので、いつも使い切ってしまっていました。
今思えばとてもよくわかります。



いじめの原因は市営住宅?

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私は小学校5年生頃に、市営住宅に住んでいるという理由から、あるクラスメイトからいじめを受けたことがある。 クラス中に言いふらされたりして、本当に恥ずかしいと思ったし、絶対に金持ちになって見返してやる!と思ったのがこの時のいじめが原因だったのかもしれない。
人より良いものを身に着けよう、人よりも良い車に乗りたい、ロレックスをつけて自慢したいと本気で思うようになったのですが、まあ今考えると情けないですよね。
周りに流されていたのですから。ですが、確実に子供のころの影響があることは間違いない。
市営住宅に住んでいた時、親の事を不憫だと感じていました。この両親を幸せにしたいと、いつも今でも強く思っています。
だから、お金持ちになることが私のゴールであることは間違いないのだが、お金持ちになっても、何も満たされることはなかったですね。ただ自由な時間が増えただけで当時苦しめられた人たちに合う事もないし、そんなこと考えているなら、もっと違う事に時間を費やしたほうがよっぽどましだと今ではそう思います。



人と違う事は素晴らしい!

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右向け右!といわれて、その言う通り行動できる人が素晴らしい!国に税金を納める国民が優遇される!という訳の分からないこの国からいち早く飛び出し、世界各国を回りながら生活するのが私の目標なんですが、幼少期の差別された経験から今の自分のそういう発想が生まれているといっても過言ではありません。 だから、今の子供たちは親世代がお金がなくて苦しむ姿を見て、自分はそういう人生を歩むんだという、マイナスな発想をするよりも、親とは違うもっともっと上を見てほしいし、ぜひ親世代を助けてあげてほしい。人と違う事は素晴らしいんだよね!そういう発想がもっともっと生まれるような世の中にしてほしいというのが私のこの日本に対する願いです。



まとめ

私が最後に働いていた会社は江東区の会社でしたが、ここにも団地があり、お金持ちから貧乏の人までたくさんの人が住んでいました。 海外から来ているインド人や中国人、韓国人とたくさんの人たちが住んでいて、これから日本もグローバル化が進み、常識が大きく変わってくことだと思います。
日本人の常識は世界では通用しないという時代になれば、私たちの生活は大きく変化していくことでしょう。
そうすれば、今貧乏だと感じている人たちにも大きなチャンスは必ず訪れるはずです。
今貧乏だと感じている人たちも、平等にチャンスが訪れるような日本に生まれ変わることを強く願っています。

















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